そのとき僕は、ウィーンにあるベルヴェデーレ宮殿内のオーストリア・ギャラリーにいた。
エゴン・シーレの「死と乙女」を前にして、感動の時を待ち構えていた。

長いこと待ち続けた対面の時だったのだ。もう10年近くにもなるだろうか。初めて画集でその絵を見て以来、いつの日か実物の作品を見てみたいと思い続けてきた。
そして、1999年の春。ノストラダムスの予言を信じていた僕は、もう今年で世界は滅びるのだと確信していたので、死ぬ前にシーレを見に行こうと決めたのであった。

シーレに出会った頃の僕は、(当たり前だけれど)今よりもはるかに若く、自我というものに目覚め、毎日のちょっとしたことにも傷つき、しばしば激しい自己嫌悪に陥り、とにかくこの世のありとあらゆる現象に悩んでいた。自己の内面を見つめる詩や私小説といったものを好んで読むようにもなっていた。
そして、自分の心の影の部分、一番他人には見せたくない部分を、さびたナイフでえぐりとるように描き出したシーレの絵は、そんな僕をとらえた。
シーレに関する本を、何冊も読んだ。画集を何冊も買った。自分の住む町にシーレの絵が来た時は(機会は多くはなく、3、4枚しか来なかったが)、必ず見に行った。部屋には当然彼の絵が飾られた。
(シーレの絵は、あまり部屋に貼るべきタイプのものではない。友達や女性が来た時に、ちょっと気まずくなることが多いからだ)

しかし10年近い年月が流れ、僕も少しは大人になり、「妥協」という言葉を覚えたり、現状を受け入れたりするようになった。かつてあれほど多くの苦難に満ちていたはずの世界を、なかなか楽しい場所ではないかとも思い始めていた。まだ部屋にはシーレの本も色あせたポスターも残っていたが、以前ほど彼の絵が僕の心を強くとらえているとは感じなくなっていた。
そんな時に、ウィーンに出かけたのだった。

「死と乙女」を前にして僕は、ほら、あの絵だ、とうとう来たんだ、感動しろ、涙を流せ、と自分に何度も言い聞かせていた。
たしかにじかに見る「死と乙女」は、見る者を圧倒するような迫力があり、強いオーラを放っていた。絵の中に塗り込められたシーレの魂が、展示室の空気を張りつめさせていた。
ウィーンの宿で知り合い、シーレのことを教えてあげた女性がたまたま来ていて、初めて見るシーレの絵に目を赤くしていた。
「なぜだかわからないけど、涙が出るの」と彼女は言った。
でも僕は泣けなかった。僕の心は予想の10分の1ほどしか揺れなかった。
他の展示室を回り、クリムトの絵を見たり、窓の外の美しい庭園を眺めたりしてから、何度もその絵の前に戻ってきたが、やはり印象は変わらなかった。
それはただの「素晴らしい芸術作品」でしかなかった。
僕の魂を揺さぶって離さない絵、ではなくなっていた。

10年前に来ていたら、きっと僕はその場に凍りついて、涙がとまらないほど感動していたにちがいない。僕の心はシーレの魂と共鳴して鳴り響いていたはずだ。
きっと期待があまりにも大きすぎたのだ。
この10年のあいだに、いつしか僕のなかでシーレは神格化されていたような気がする。自分の感性を再びよみがえらせてくれる魔法として、精神の若さを取り戻すための最後の切り札として、その存在はふくれあがっていたからだ。
でもシーレは、すばらしい絵を描く才能を持った、偉大な画家の一人にすぎなかった。


いい歌、いい本、すばらしい芸術作品などに出会うための「タイミング」というものがあるのではないだろうか。
確かに、いつどんな時に出会っても感動するという作品も多い。聴くたびに胸が震える歌、読むたびに涙があふれる本もある。でも、本当に心の底から揺さぶられるような感動は、たぶんその時の自分の精神状態と、その作品をつくった時のアーティストの精神状態とが共鳴するときにやってくるのだと思う。
だから若い時のある特定の時期にしか感動しないようなタイプの作品もあるし、ある程度人生経験を積んでからしかわからない作品もある。
そして、いつまでも感動が変わらないような場合は、自分の心の中に、いつまでも変わらない部分があるからなのだ。
いつまでも探し続けているものがあるときは、同じようなものをずっと探し続けていたアーティストの作品に心をうたれる。たとえば「空のもう半分」を探し続けている人のように。

人との出会いにも同じことがいえるのだと思う。
人には出会うべきタイミングというものがある。運命の人であっても、タイミングがあわなければ、ただすれちがってしまうのかもしれない。
少し悲しいことだけど。